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50〜60代の日本人の方ならほとんどの方が一度は目にしたことのあるアニメ。
この年代の人々の心の礎になっている、というか、道徳観を形成したであろう教育的なアニメ。
その後ジブリ作品に受け継がれている見慣れた絵柄。
日本人なら大好きな人も多い。
ゆえに二次創作がものすごく多く作られてる。
そもそもこのアニメも原作から見れば二次創作であり、原作通りではない。
大筋はあってるし、原作の持つ意味をダメにしてはいないけれど、宗教に関してはさらっとな程度。
原作ではヨーゼフいないし、ロッテンマイヤーさんは山に来ない。
おじいさんの親友になるお医者様の章は省かれている。
原作者に断りを入れていたらこんなアニメは作られなかったかもしれない。
原作者がお亡くなりになって久しい物語の方が製作は勝手にできただろうから、これはこれで良いのかもしれないけれど、ご当地スイスではこんなのスイスじゃないとかで放映されなかったとか。
昨今のいろいろを考えると話がずれて行きそうなので、なぜ私がこのアニメが好きなのか綴ろうと思う。
データ的なものは他所で探してくださいね。
だいたい、ヨーゼフがいい!原作にはいないヨーゼフがどれだけ素晴らしいか。
今回の見直しで気づいたのは、ヨーゼフはトトロだってこと。
トトロよ。
見てみ、トトロだから!
駿さんはすでにここでトトロを描いていたんだわっ、と興奮。
ヨーゼフがいるだけで嬉しくなる。
アルプスの少女の日々の生活を描いているようで、実はとってもファンタジー。
トイレとかの下水はどうなってんのかしら、とか、お洋服がいつも同じで他にはないの、とか。クレヨンしんちゃんのファッションカラーと同じだわ、とか。いちいち想像してしまう。
原作では意地悪全開のペーターがアニメではいい子。欠けた歯がいい。
クララの立ち上がりまではアニメではじっくり描くけど、原作ではあっさり。
クララは心身症?で立てなかったのね。
子供の頃はそこんとこよくわかってなかったね。要するに立てないんだね、とそこまで。
お母様の死によってなのか何なのか、クララは深堀りされない。
でもクララってほんといい子なのよ。
毎日チーズと黒パンと山羊の乳だけで栄養は大丈夫なんか、とか、大人な目線で見ている自分。
子供の頃はそんなんじゃなかった。
自分があの世界の住人になって入り込んでたから。
お嬢様なクララが憎たらしいわ、とか、ロッテンマイヤーさんも大嫌い、とか、途中で帰ってしまうおばあさまがひどいとか、とにかくハイジ応援。
今見ればみんな嫌いになれない人々。
その後の自分の日々も、ハイジ的な道徳観で生きてきたところがある。
自然は素晴らしい、というのはかなり植え込まれているのかもしれない。
でも今現在自然の中以外では生きられなくなっているので、ハイジのせいだけではないけれど。
おじいさんがいいわね、アルムおんじ。
元傭兵で各地を転々とし、人を殺したり、自分の子供を亡くしたりと、かなり傷んだ心身で一人孤独に生きるおじいさん。
そこへ現れたハイジを、人里から遠ざけて「わしと二人だけで」生きていくつもりになるおんじ、この山にいれば汚れたり傷ついたりせんで済む、と学校へも行かせない。言葉を知ればそれだけ傷つくと。
その気持ちは痛いほどわかる。
でも結局、キャリアウーマン志向のデーテおばさんの策略によって、苦難ののち思いがけずみんな幸せになってゆく。
愛が愛を呼ぶのよ。
「北の国から」でもそうだけど、都会のシーンて観てて苦しくなるのよね。
山のシーンのほうが楽しい。
都会がすべての元凶と養老先生はおっしゃってるけど、そうよ本当に。
こんな多大な電力本当に必要なの?
都会、都会的な暮らし、にはどうしても電気が必要よね。
もとい。
続きが気になって気になってね。
子供の頃は最終回のときは終わってしまった悲しみが怒りに変わるほどだった。
世界が終わってしまったような。
今回も終わった後は寂しくてね。
ちょっと虚脱。
そういえば。
駿さんの最新アニメーションも、原作ありの物語だったようだけど、随分イマジネーションが膨らんであのようになってる。
まだ見てないですけど、予告編でちょっぴり見ただけですけど、ハイジにしても最新作にしても、オタクっぽくないよね。
アニメがアニメであるというか。
そこはとても評価したい。
定年退職後に何をしたら良いのかわからないとお嘆きになる前に、子どもの頃好きだったアニメや漫画を見返すってのはどうかしら。
私が20歳ぐらいの頃は今ほど簡単に再放送は見られなかった。
本当に最近よ、色々お手軽に見られるようになったのは。
子どもの頃好きだったものをもう一度手に取るのは、いいことよ。
還暦っていうのは元に戻るって意味もある。
ってあたくしまだ還暦ではないのだけど、もう人生は復路の最終コーナーですから、どんどん昔好きだったものにまみれていこうかと思っています。