今から数十年前の日本の風景です。
とても良い絵本です。
食育、という言葉が使われ始めたのはいつでしょう。
食べのもが何からできているのか知らない人間が増えたからでしょう。
人間の意識というのはこの世界を変えます。
食べ物に興味をなくせば、その通り、今や、自然界にどれだけ食料があるというのでしょう。
水も、どれだけの水が飲める水なんでしょう。
そのうち命を養う空気もなくすことでしょう。
はっきり言います。
他の命を奪うことでしか人間は生きられないんですよ。
工場からくる食べ物も元をただせば奪われた命なんです。
そこに想いを馳せられなくなった人間はもうすぐ滅びるのでしょう。
なぜ子供を産みたがらないのか。
命を養う感覚が抜け落ちた世界に生きてるからですよ。
顔のシミばっかり気にして、内臓のシミに気がつかない。
美味しさの基準がケミカルの味になってしまている。これは経済的に貧しく、余裕のない生活をしている世帯の子どもたちによく見受けられることです。政治しか、解決できない貧困もあるのです。
魚の生まれる場所、鳥の生まれる場所、稲の育つ場所、水の湧く場所、そこへの思いが消えているから、それらがなくなるのです。
これはオカルトでもスピでもなんでもない、事実です。
そんな思いをふつふつとたぎらせてくれる絵本でした。
子供から大人までわかりやすく伝わるものがある。
大人目線で描かれた胡散臭さがない。
人間が持っている感謝が伝わる、心の奥底にある私たちの優しさを撫でていくような、そんな絵本。
付録の冊子が、落合恵子さんの書評なのですが、とても上手にこの本の本質を語ってくれています。
心がざわざわする、ざわざわするためにこの本を読む。
自然災害も心のどかでカタストロフィを望む人間の心が生み出した産物ではないのでしょうか。
命を顧みないことを日々積み重ねているせいではないのでしょうか。
泥水に飲まれ亡くなった母子を思うことなく「まずまずの災害だった」としれっと言う政治家に、この国を任せているせいではないか。
私は時々、自分がトンボやスズメ、カエルや雑草、そんなものと変わりない存在だと思うことがあります。
死は循環への入り口なだけなのだと思う。
だからといって軽んじていいものではないと思う。
我々が人間であるならば軽んじていいものではないと思う。
我々は皆殺戮者、命を奪うものなのだから。
ごめんなさい、ありがとう、という気持ちを忘れずにいたい。